演出家 上田久美子が語る

ロマン・トラジック 『桜嵐記(おうらんき)』の見どころ

登場人物の心情を丁寧に描いた脚本と緻密な演出で、熱い支持を得る演出家・上田久美子。演出家デビュー作、初めてのショー作品と、上田の転機ともなった作品で主演を務めた珠城りょうのラストステージ『桜嵐記』の上演に向けて、意気込みを聞いた。   

桜の里に咲き、そして散った恋

南朝の武将、楠木正行を主人公に物語を描いた経緯を教えてください。

奈良県の吉野には、楠木正行に関する伝説がいくつか残っています。北朝の武将に拉致されかけていた弁内侍を救い、後に後村上天皇から縁談を勧められるも、戦での死を覚悟していた正行は彼女を想うがゆえに断った、という話など、日本的な耐える男のラブストーリーが宝塚歌劇の日本物によく合うなと思い、取り上げたいと考えました。   

タイトルの『桜嵐記』に込めた想いは?

ご存知のとおり、南北朝時代は朝廷が京都と吉野に分かれ、どちらが正統であるかを争っていた時代でした。政権争いで優位に立つ北朝に対し、吉野に落ち延びた南朝はすでに敗色が濃く、御所があったとされるのも山深く寂れた場所です。ところが、春には爛漫と桜が咲き、息をのむほど美しい自然に囲まれます。侘しい御所が咲き誇る花に抱かれる情景の中で恋をして、戦いに赴く正行の姿、そこに生きた人々の儚さと切なさを描きたいと考え、タイトルを決定しました。   

公演ポスターの「限りを知り 命を知れ」という言葉に惹き付けられます。

以前、吉野で突風に巻き上げられた桜の花びらに取り巻かれたことがありました。闘病中の祖父と二人だったのですが、まるで嵐のような桜吹雪の中で、今ここに二つの命が確かにある、と感じたことを覚えています。同時に、“限り”を思うことで“生きる”ことをより実感できるのだと思った瞬間でした。死を覚悟した正行が、桜の中で愛する人と語り合ったら、そのような感情を一層鮮烈に抱くのではないでしょうか。   

義に生きた武将・楠木正行に重なる、珠城りょうの魅力

楠木正行を演じるトップスター・珠城りょうについて。

正行は真面目すぎるほど真面目な武将で、決して人の道に外れるようなことはしない、道徳心を持って生きているところが魅力だと思います。ある種の公共心と言うのでしょうか、他者のために行動する人物として描きましたが、個を犠牲にして耐え忍ぶという日本的な一面は、珠城自身の誠実で真っ直ぐな人柄に大変合っていますね。   

珠城はこれが退団公演となります。

演者が内面に持っているものは、役にも反映されますが、“正義の人”である正行の言葉に真実味を持たせるということを、珠城なら充分に満たしてくれるのではないでしょうか。それでも単なる綺麗ごとにならず、心に響くような実(じつ)のある演技をしてくれると期待しています。   

トップ娘役・美園さくら演じる弁内侍はどのような人物でしょうか?

弁内侍は、武家との戦いの中で命を落とした、後醍醐天皇の側近であり公家である、日野俊基の娘です。父親を失ったことによって心に傷を負っていて、人の愛を知らず、自分の居場所も見つけられずに生きている孤独な女性として描いています。   

この作品が最後となる美園に期待することは。

繊細で張り詰めたような歌声がとても良いですね。それは弁内侍の少し硬質なところから生まれる魅力にも繋がるのではないでしょうか。美しい声も生かしながら、美園だからこそ表現できる弁内侍像をつくり上げてほしいと思います。   

月城かなとは楠木三兄弟の末っ子、正儀を演じます。

珠城演じる正行と鳳月杏演じる正時は、どこか似ていると言いますか、父の遺志を継ぐという思いに囚われているところがありますが、この二人の兄とは違って自由な観点で物事を捉えているのが月城演じる正儀です。関西弁にも挑戦してもらっていますし、闊達で型破りな雰囲気を出してほしいと思います。カジュアルになってしまいそうな台詞でもしっかりとした形になるところに、日本物における経験値の高さを感じさせる、頼もしい存在ですね。   

専科からは、一樹千尋が後醍醐天皇役で出演します。

後醍醐天皇は、南朝が戦いで払ってきた犠牲という呪縛の象徴として登場します。今回は、後醍醐天皇が崩御する直前の狂気的な面を描いていますが、クラシカルで格調高い芝居を得意とする一樹さんですから、単純な狂気ではなく、帝の怨念のようなものに説得力を与えてくださることでしょう。   

芝居に定評のある月組の日本物に期待が集まります。

日本物と言っても様々な形式がありますが、今回はオーソドックスなものを目指しています。型にこだわった日本物を演じる機会は少ないですし、伝統を継承していくためにも、私を含めた全員が勉強しなくてはいけないと強く感じます。幸い、花柳寿楽先生や立ともみ先生、専科の京三紗さんにご指導いただけますので、古き良き時代の宝塚や日本の伝統を知る方々から、たくさんのことを学びたいですね。   

最後に、お客様へのメッセージを。

出演者たちが伝統的な日本物への関心を高く持ちながら、日々稽古に臨む姿を見て、私自身、仕上がりが大変楽しみです。速いテンポで運んでいく作品ではありませんが、だからこそ、たゆたうように流れる時間を、舞台上に広がる美しい自然の情景の中で楽しんでいただけたら、嬉しく思います。   

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【プロフィール】

上田 久美子

奈良県出身。2006年宝塚歌劇団入団。2013年『月雲(つきぐも)の皇子(みこ)』-衣通姫(そとおりひめ)伝説より-(月組)で演出家デビュー。宝塚大劇場デビュー作『星逢一夜(ほしあいひとよ)』(2015年雪組)で、読売演劇大賞の優秀演出家賞を受賞。心の機微を繊細かつ丁寧に描いた『金色(こんじき)の砂漠』(2016年花組)でも、その独自の世界観で観客を魅了した。2017年、『神々の土地』~ロマノフたちの黄昏~(宙組)では、ロシア革命前夜を舞台に、歴史に翻弄された主人公の愛と葛藤を圧倒的な美の世界で見事に表現。自身初となるショー作品『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る—』(2018年月組)では斬新な演出が話題を呼んだ。2019年には、菊田一夫氏の不朽の名作『霧深きエルベのほとり』(星組)の再演に挑み、好評を博した。今年1月の『f f f -フォルティッシッシモ-』~歓喜に歌え!~(雪組)では、不運に彩られたベートーヴェンが、至上の喜びを歌う「第九」を完成させるまでを、大胆な発想で描いた。観客の心を捉える作品を次々と発表している若手演出家の一人である。