宝塚歌劇の歩み(1923年-1933年)

時代を先取り 日本初のレビュー上演 宝塚歌劇が日本全国に広がる

1930年8月初演の『パリゼット』 1930年8月初演の『パリゼット』

1924年7月、4,000人を収容することのできる宝塚大劇場がオープンし、それに合わせて新たに雪組が誕生。各組が1ヶ月ごとに交代で12回の常時公演を行うというスタイルが確立したのがこの時代でした。

そんな中、日本で一番最初に歌と踊りなどに時事風刺劇を組み合わせた「レビュー」を取り入れたのが、宝塚歌劇。当時パリを中心に西欧諸国で大流行していた舞台芸術を取り入れ独自に上演していったことは、昭和初期の日本文化にヨーロッパの息吹を持ち込んだ斬新な試みでした。

中でも1927年に上演された『モン・パリ』は、その主題歌「~うるわしの思い出 モン・パリ~♪」が流行歌として日本中で話題に。日本の舞台芸術界を担う新しい潮流が、宝塚歌劇を中心に生まれようとしていました。

また、東京宝塚劇場の開場に備えて新しく星組が編成されました。   

西暦(元号)
世の中の動き
主な出来事
1923年(大正12年)
関東大震災
宝塚新温泉の諸施設が焼失
公会堂劇場、パラダイス劇場、大食堂、図書館、学校新校舎などが焼失、浴場だけが残る。

初の地方公演
公演が中止になった期間を利用して、花組が山陽地方に大阪毎日新聞社巡回病院主催の見学公演旅行へ。

新歌劇場が完成し公演開始

翌年、「宝塚中劇場」と改称される。

新装のパラダイスが開館、その3階に「宝塚小劇場」が開場
1924年(大正13年)
雪組を新設、初公演
宝塚大劇場の開場に備えて3組交代による公演を開始した。
 
4,000人収容の宝塚大劇場が完成、杮落し公演を開始
月・花組の合同で『カチカチ山』『女郎蜘蛛』『アミノオの功績』『身替り音頭』『小さき夢』を上演。
1925年(大正14年) 花・月・雪組の3組交代による年12公演体制が確立
1927年(昭和2年) 日本初のレビュー『吾が巴里よ<モン・パリ>』上演
前年1月欧米へ視察に出た岸田辰彌の帰朝第1作。幕なし16場のスピーディーな新形式が観客にアピールして、レビュー時代の幕開けとなった。
1928年(昭和3年) 宝塚少女歌劇団生徒(研究科生徒)を普通・舞踊・声楽の3科に区分
1930年(昭和5年)
『パリゼット』初演
白井鐵造の帰朝土産レビュー。『モン・パリ』をしのぐ人気で3ヶ月の続演となった。主題歌「すみれの花咲く頃」もヒットし、化粧法が一新したのもこの作品から。
1933年(昭和8年) 新設の星組が初公演
東京宝塚劇場の開場に備えて新しく星組が編成され、春日野八千代、難波章子ら主演の『お国歌舞伎』などで初公演した。